ゼロカーボンと消費(新聞掲載)
前から私が気になっていた言葉があります。それは「消費」という言葉です。
なんでかというと、消費は「消すために費やす」からです。消耗品も耐久品も、本質は同じで所有して利用してしまったら捨てるわけです。だから「消費」は、一直線・一方通行の文明で、あとは廃棄物となります。
人間の文明で「消費」がこんなにもてはやされ、「消費」でしか経済活動が回らなくなったのは、いつからでしょうか?おそらく太平洋戦争後、高度に産業化が進んでからです。 戦前は、日本も循環社会でした。農村ではトイレの排便が畑に撒かれ、モノは大切にされ修理して永いこと使われました。とくに農具は鍛冶屋で再生されました。着物でさえハギレで修繕され、最後には雑巾として大事に使われました。
日本人だけではありません。インディアンの部族社会では「消費」という価値観は存在せず、「譲り渡し」がありました。家財や毛皮や弓矢は先代から子や孫へ譲り継承し、友人や仲間など部族間にも「譲り渡し」されました。
さて、ゼロカーボン社会ですが、発電の方法を変えるとか消費電力を抑えるという方法ばかりが注目されがちですが、「消費」の在り方を見つめ直してみてはいかがでしょうか?
※徳島新聞掲載
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